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平成15年1月9日(木)

2013年 01月09日 11:11 (水)

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お振袖のお生地を選定するため、
瑠璃にゃん様のブログを過去にさかのぼって拝見させていただきました。
お生地がまだ残っていればお作りいただけるという嬉しいお言葉を頂戴し、
ルンルン気分で、どれにしようかしら・・・・

総絞りのこちらのお振袖に釘ずけになったのです。
娘の3歳のお祝着、絞りのお被布に雰囲気が似ている・・・

和服の大好きな母の見立てで、選んだお被布です。
東京のデパート何件見て歩いたでしょうか・・・
懐かしい思い出です。

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3歳のお祝は、両祖父母も集合し総勢9名でとても和やかに楽しい幸せな時を過ごしました。
写真映りが悪いからといつもは撮る方ばかりに回っていた母が、その日に限って積極的に写真に入ってきます。
娘との2ショットは勿論のこと、長男、次男との2ショット、様々な組み合わせ。
表情もいつものちょっと気取った感じではなく、
おどけた明るい感じ。
何か吹っ切れたかのような柔らかい表情。
どうしたのかしらと思うほど沢山写真を撮ったのでした。

まさかそのよいお顔の写真が、遺影になろうとは誰が想像できたでしょうか・・・・

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10年前の今日だった。
悪夢としか思えないようなことが起こったのは・・・

新年早々、重たい内容になってきました。
ご了承いただける方だけに。。。

10年という節目に記録として残しておこうと思います。

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最愛の母が突然逝ってしまった。
先程まで一緒に笑っていたのに・・・・

3人の子育てで忙しくしていた私をいつもサポートしてくれた。
その日も私より早くに起き、中学1年の長男と小学3年の次男のためのお弁当をつくってくれていた。
私はと言えば、長女が兎に角夜更かしで毎晩夜中2時3時までお付き合いでへとへと・・・
朝目覚めるとぼんやり遠くの方から母の小気味よい包丁の音が聞こえていた。

当時から私は頭痛の多い日々で、その朝もずと~んと頭が痛い。
そんな時は気持ちの悪い夢をよく見、その日の夢は、キッチンが火事になった夢だった。
あ~怖かった、、、
大抵の夢は、すぐ忘れてしまうのだが、この日に見た夢はまだ脳裏に焼き付いている。

空気の澄んだとても寒い朝で、子供たちを学校に送りだしたとき、玄関で母は
「今朝は、一段と寒いわね。寒い寒い。」
と何度となく言っていた。

頭痛の多い私に、「お水を沢山飲むといいらしいわよ」とか心配して色々言っていた。
「noriちゃんは、幸せね、良い子たちに恵まれて・・・」
この言葉が、恐らく最後の言葉・・・


母は、社交的で、よくお友達とランチや旅行等を楽しんでいた。
その日もお友達とヒルトンでお昼をいただくと言っていた。
お友達と会う前に血圧が高くて長年通っている大学病院の外来にも行かなければならないので、
そろそろ用意しなくてはと母はリビングを出て行った。

私は、家の設計図の見直しに没頭していた。
私の両親と完全分離の二世帯住宅を建てる計画で、
ちょうど設計図がほぼ完成したところだった。
毎日のように、母と近い将来住む家のことで盛り上がっていた。

若いころは、母と喧嘩ばかりしていた。

当時もよくぶつかってはいたけれど、
恐らく、私が母親になり少しずつ子供とともに成長していったのか、
穏やかな触れ合い、心地よい母娘の関係に近づいていったように思う。


朝寝坊の娘はまだ起きてこず、静かな時が流れていた。

なんか、静かすぎる・・・
母が出かける身支度にリビングから出て行って20~30分ほどたったかしら・・・?
出かける前は、トイレに行ったり洗面所を使ったり何かと行ったり来たりするもの・・・
まさか黙って行ってしまうわけはないし・・・
何の不安も持たずに、母を呼びにリビングを出た。
玄関にハンドバッグが置いてある。
いくら呼んでも返事がない。
トイレ?いない・・・
どこ?
長男の部屋が開いていて、部屋をを入ったところに母が横たわっている。
普通に私は母に話しかけたような気がする・・・
「こんなところで何しているの?」


その後のことは、何がどうなったのかよく覚えてない・・・
すぐに救急車が来て、東大の救命救急に運ばれて、
あっという間の出来事!

私が長男の部屋で母を発見した時には、もう冷たかった。
とても穏やかな顔をして・・・
うっすら笑みを浮かべてさえいるような・・・

虚血性心疾患。
瞬間死という。

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毎日毎日、泣いてばかりで、半年、1年と経っていった。
体中の水分が全部涙として流れてしまったのではないかと思うほど。。。

今まで母に甘えきっていた私にとって、子育て、家事等すべてをこなすのはとても大変だった。
しかし、それをこなしていくことで少しずつ少しずつ、現実に向き合うことができたのだと思う。

母が他界して、いろいろな課題を私に残していってくれたようだ。




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10年長いようで、あっという間に過ぎていった。
色々な事があった10年。

何かあるごとにいつも母が見守ってくれていると信じて、
ここまでやってこれたのだと思う。

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母の存在は、そこに居なくても本当に偉大。




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これからも、ずっと一緒で一生お導きくださいませ。


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コメントの投稿

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2013年01月09日 16:18

不思議なの・・
コメント送信が失敗の連続・・
お母様が私に、「もう一度考えなさい」って
おっしゃってる気がした。

だから下書きを何度も読み直して、
お悔みの言葉を削除しました。

共感するなんて出来っこない。
私が経験した、父や友人との別れと比べるのも違う。
これでも送信出来なかったらならやめておこう。

そして、かっちょいいnoriさんになったんだね!

mimuroちゃん、ありがとう♪

2013年01月09日 22:33

それぞれの人生には、それぞれに辛い別れがある。
それは、いつやってくるかわからない。
mimuroちゃんも、悲しみを乗り越えていらしたのですね。

今を大切に生きなきゃね!

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2013年01月10日 02:04

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2013年01月10日 02:11

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2013年01月10日 08:50

noriさん・・
大切な記事に二度目のコメントを許してください。

お写真の美しさと記事の内容にばかり気をとられていました。
私はいつも、心にひっかかっているものの正体に
気づくのが遅くて、恥ずかしいです。

崩れ落ちそうなパズルの向こうに、
noriさんの悲しみが見えました・・

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2013年01月10日 12:48

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mimuro♪様、とても嬉しいです。

2013年01月10日 19:43

何度でもコメントして下さいな。

大好きな藤城清治の版画は、母の元に届くような気がふっとしてしまいます。

藤城清治の版画には、ピアノをはじめとして楽器をモチーフによく使われます。
母は、クラシックが大好きでしたので・・・
そして、この水芭蕉も・・・
花壇にはに水芭蕉やらすずらん等が咲き乱れていたような記憶が微かにあり、母に結び付いたのです。

ブライスと撮影中にこのジグゾーパズルのピースが外れていきました。

何とも言えない深い思いを抱きながらの撮影となりました。

独り言のブログを、こんなにも丁寧に見てくださりmimuroちゃん、感謝の気持ちでいっぱいです。


ブログ投稿をどうするか悩んだ内容でしたが、多くの方からも心温まるコメントをいただき、ありがたい気持ちでいっぱいです。

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2013年01月11日 09:07

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心にしみいりました。

2013年01月11日 14:49

こんにちは。

お母様は、天国で喜んでいらっしゃると思います。

10年経った今もこうして、常に身近に感じていらっしゃるのですから・・・

藤城清治の背景が文章との雰囲気、調和がなされていると感じます。

また、ブログ拝見させていただきます。

2013年01月11日 17:16

s.さま

コメントありがとうございます。

毎日、母の遺影を見ておりますと、その時の私の気持ちが母はお見通し
のように母の表情が変わるのです。
いつも見守ってくれているのだと思います。
藤城清治の影絵は、大好きです。
母も私もすきでしょう。

又、いらして下さいませ。

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2013年01月12日 10:17

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2013年01月12日 17:51

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2013年01月12日 20:02

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2013年01月13日 16:10

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ある一日

2013年01月14日 22:59

こんばんは。連休前にこの日記の文章を拝読して、それから数日間、よく思い出しては「noriさんに何か言わなくては」と思っていました。

大分以前、私がブログに新井満の『千の風になって』という歌について書いた時、noriさんはお母様のお話をしてくださいましたよね。
私はあのコメントを今でもよく覚えています。
お母様をどれだけ深く愛されていたのか、そしてどれだけお母様への感謝の思いを胸に生きておられるのかを感じました。

私はまだ、親との別れを経験していないので、noriさんのお気持ちを深いところで受け止めることができないと思いました。
小林秀雄の書いた「本居宣長」の最後の文章にある「死」についての文章を虚心に読んでいっても、どうしても「別れ」を体験しなければ、その感覚はわからないです。

今回の写真を拝見していて、ハッとしました。
藤城清治の絵画の世界と、郷愁を感じさせる赤いお着物を着たブライスの姿から、深い哀悼のイメージを感じたのです。

この絵は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の様に、遠くから聞えてくる音楽が、あたかも静謐な宇宙空間に響き渡っているようです。

そしてブライスの足元に置かれている沢山の置物は、魂を含んだ嬰児たちのように見えます。

お母様は今もずっとnoriさんの中に生きておられるのですね。親の存在がどれだけかけがえのないものなのか、改めて考えました。

ありがとうございます。noriさんの言葉は、しっかりと私に届きました。

O先生…

2013年01月15日 19:47

私、気になっていたの。
この投稿をご覧になられ、どうコメントをしようかと悩まれていらっしゃっるのではないかしらと…

コメントなんて気にしないでね!とメールしようとまで思ったのですが、何か自意識過剰みたいで・・・・

文字では伝えにくい事、どんな表現もピンとこないことって結構あるものです。

しかし、貴方のコメントはいつでも的を得、心がこもっていて大好きです。

いつでもどなたにでも真摯な態度で接していらっしゃる貴方を私は尊敬しております。

ありがとう。

又色々お話し致しましょう(*^^*)

静かな1月

2013年01月18日 20:49

ブログはいつも真実だけど琴線にふれる内容でした。
悲しみや驚きは経験した人にしかわからない事ですが、
noriさんの真実を通して私なりに考えさせられました。
孫の事を娘にほめてあげられる素敵なお母様、
私に娘はいませんが、身近な人を褒められる事、
お手本にします。

2013年01月18日 23:05

ひさりん様

コメント有難うございます。

母は私の前から消えてしまうことで、いろいろ私に伝えたのです。

母は、自分の身を犠牲にして、私を正そうとしたのです。

私、ひどかったから・・・・

なんかdown cast ですね(-"-)